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大阪地方裁判所 昭和38年(ヨ)2718号 判決

申請人 尾崎豪

被申請人 社会保険診療報酬支払基金

主文

一、本件仮処分申請を却下する。

二、訴訟費用は申請人の負担とする。

事実

申請人代理人は、「被申請人は、申請人をその従業員として取り扱い、かつ申請人に対し、昭和三八年七月三一日以降毎月一五日限り、一ケ月金二八、四三二円の割合による金員を支払え。」との裁判を求め、申請の理由、被申請人の主張に対する反論として、次のとおり述べた。

第一、当事者

(一)  被申請人(以下基金とも称する)は社会保険診療報酬支払基金法に基いて設立された特殊法人であつて、東京都に本部、各都道府県に従たる事務所をもち、健康保険法、日雇労働者保険法、船員保険法、国民健康保険法ならびに共済組合に関する法律に基いて、診療担当者から提出された診療報酬請求を審査し、これに対する支払を適正迅速に行うことを業務としているものである。なお、被申請人の代表者は本部の理事長であるが、従たる事務所には幹事長がおかれ、右幹事長は、定款の定めるところにより、所轄業務に関し裁判上、裁判外の一切の行為をなしうる権限を与えられている(前記基金法第一二条三項)。

(二)  申請人は昭和二七年三月一七日被申請人に雇傭されてその従たる事務所である大阪府社会保険診療報酬支払基金(以下大阪基金と称する)に入所し、爾来事務職員として勤務していたもので後記解雇当時は主事として大阪基金業務部業務第二課、業務第二係第一班に配置され、毎月一五日限り一ケ月平均(解雇前三ケ月間を基準とする)金二八、四三二円の賃金を得ていたものである。

第二、解雇

被申請人はその大阪基金幹事長をして、昭和三八年七月三〇日、申請人に対し、その就業規則第八四条第一項第一号に該当するとして即日解雇する旨の意思表示(以下本件解雇と称する)をなした。その理由は次のとおりである。すなわち、申請人は

(1)  昭和三七年中においては欠勤四六回(延べ三六・五日)遅参一五回であり、同三八年一月一日から七月一七日までの間に欠勤三〇回(延べ二五・五日)遅参一二回であつて他の職員に比して欠勤および遅参が著しく多い。これに対しては、同三七年九月八日には直属課長から、同三八年六月一四日には総務部長および庶務課長から注意したが一向に改める意思がみられない。

(2)  勤務時間中の無断離席が多く、かつ執務に熱意を欠くので、昭和三七年一〇月以降しばしば上司から注意したがこれに対しかえつて暴言をはき、反抗的態度をとり、いぜんとして執務態度を改める意思が認められない。

第三、解雇の無効

しかし、本件解雇は次の事由により無効である。

一、不当労働行為

本件解雇は、申請人の正当な組合活動に対して報復的に行われたものであり、かつ申請人の所属する全国社会保険診療報酬支払基金労働組合(以下全基労と称する)の運営に支配介入したものであつて、労働組合法第七条第一号および第三号に違反し、無効である。すなわち

(一)  申請人は、被申請人の職員で組織する全国社会保険診療報酬支払基金労働組合大阪支部(以下全基労大阪支部と称する)の組合員であつて、昭和三五年三月から同三六年二月まで全基労近畿地区委員長、同大阪支部執行委員を、同三六年三月から同年八月まで全基労中央委員、同近畿地区委員長、同大阪支部執行委員、同三六年九月から同三七年八月まで全基労中央委員、同近畿地区委員長、同合理化対策委員、同大阪支部書記長、政労協近畿支部議長を、同三七年九月以降は全基労近畿地区教宣部長、同大阪支部教宣部長、同定員問題調査委員をそれぞれ歴任している。

(二)  ところで、申請人が昭和三五年三月組合役員に就任した当時、大阪基金においては、保険業務の急増にもかかわらず、定員の増加がなく、職制は業務処理のため残業協定がないのに残業を強制し、また組合員も命じられた仕事を整理し得ず、休日に出所して無償残業をしたり、仕事を自宅に持ち帰つて処理したりする状況がみられ、労働過重が一般的となつていた。また年次有給休暇は賜暇簿なる備付簿に理由を記載して請求しなければならず、その記載理由についても種々追及されて制限を受け、女子職員は生理休暇もとりえず、当番制で三〇分の早出を強いられ、かつ女子更衣室のないところで働かねばならず、さらに、毎年六月と一二月に支給される手当には、職務給、成績給なる項目があり、上司の主観で差別がなされ、また昇給についても差別が存し、上司にうけのよい者や縁故者は特別昇給する反面、上司に憎まれた者や女子は定期昇給さえ停止される状況であつた。

(三)  右の如く、職場では労働基準法に定められた労働時間休暇などに関する最低の基準さえ保障されない状況であり、組合員は劣悪、不均衡な労働条件に置かれていたにもかかわらず、当時の組合はこれらの問題を積極的にとりあげて斗おうとする態度に欠けていた。申請人は、昭和三五年三月全基労近畿地区委員長に就任してのち、名実ともに組合の中心的活動家となり、このような職務の現状に対する組合員の不満、要求を正しくとりあげ、支部組合員の圧倒的支持の下に、次の如くその改善の斗争を推進し、組合員の社会的、経済的地位の向上、職場の民主化、団結の強化等のため献身的に努力した。(1)昭和三五年六月の夏期手当斗争後前記不均衡な職務給、成績給反対の斗争をくみ、定時出退所、超勤拒否等を行つて、これを基本給の一パーセントとする旨の確約を得た。(2)同年年末斗争において始業時間を午前九時(協約上は午前八時三〇分)とし勤務時間を確定するとともに、大阪基金との間に残業協定を締結した。また女子組合員の早出、居残り当番制を廃止し、四〇日以内の欠勤は定期昇給に際し差別しないこととする等の成果を得た。(3)さらに昭和三六年の夏期手当斗争において、前記有給休暇の理由欄を廃止し、従来欠勤中の休日も欠勤日数に算入していたのを不算入とすることとし、宿日直は組合で自主的に希望者のみに割当てる等の確約を得るとともに、従前は事後に渡されていた市内出張の際の各種乗車券の前渡し、組合員によりなされていた自動車による請求書の配達を運送業者に委託する、一般職員より長時間であつた小使の勤務時間を一般職員並とする等の諸権利を獲得して全国の組合員から「大阪の六月斗争」と呼ばれる多大の成果を得た。

(四)  このように、申請人を中心として組合の団結がますます強化されるにおよんで基金側では、申請人ら組合活動家や組合そのものに対して極端な嫌悪の情をいだくようになつた。このことは、昭和三七年一一月大阪基金へ監査に来た友納基金常務理事のなした講評からも十分うかがい得るところである。そして基金は、申請人らの活動をおさえ、組合の団結を弱める目的で、悪質な不当労働行為を重ねるにいたつた。すなわち、(1)昭和三六年七月には元全基労初代委員長であつた大野喜八郎を大阪基金業務部長として派遣し、組合弾圧の衝にあたらせ、(2)同年一一月頃より従前なされていなかつた勤務時間中の組合活動に対する賃金カツトを実施し、また団体交渉につき大阪基金の権限外の事項と強弁してこれを拒否した。(3)さらに昭和三七年一〇月近畿地区業務主任者打合会の決定という名目で、個人分担制の強化、個人作業日報の提出という業務規定の改悪を企図した。全基労大阪支部はこれに対し労働強化とそれに対する勤務評定であるとして反対斗争を行つたが、大阪基金は、これを就業規則違反として、斗争に参加した各組合員の自宅へ警告書を送付した。(4)昭和三七年年末手当斗争の際、組合が協約どおりの休憩時間を与えよと要求して団体交渉を申し出たところ大阪基金は幹事長の権限外だとの理由でこれを拒否したので、職場討議ののち、申請人ら若干の組合員が直接幹事長に抗議した。これに対し幹事長は一度は一二月一七日午前一〇時より団交に応じる旨約束しながら当日になると団体交渉に立ちあわず、他の委員をして「君達は団交しているつもりかも知らんがこちらはただ聞きに来たのだ」と放言せしめた。(5)昭和三八年六月四日大阪基金は、所内配置転換に際し、事務所三階の歯科係の一隅にあつた衝立で囲んだ更衣室を女子組合員等への何等の通告もなく突然取毀した。これに対しては申請人等組合員がその場で抗議をなし、その結果同じ三階にあつたもう一つの更衣室を畳一畳半程拡げるということで話がついた。

(五)  また、被申請人は申請人の積極的、中心的な組合活動に対し、早くから申請人の組合内での孤立化と企業からの排除を企てて来た。すなわち、(1)昭和三六年三月の支部執行委員定期改選にあたり、申請人が穏健派の対立候補と激戦し圧倒的多数の支持で再選されるや、当時の林幹事長は、基金本部に対し「尾崎と所川は共産党員であり、今後この二人に組合が引張られる虞がある」と報告して申請人を特別マークし、(2)また昭和三六年夏期斗争ののち、右所川が病気で休職するに至つたとき、前記大野業務部長は「もう一人尾崎も倒してやる」と放言し、(3)さらに、昭和三七年はじめ頃には「わしは組合の三分の一を握り、尾崎が三分の一を握つている。残り三分の一は中間層だ」と述べて申請人に対する攻撃意図を露骨に示している。(4)このため申請人は、昭和三五年来業務課から資金課支払係へ、そしてまた業務第二課へと度々配置転換され、支払係にいるときには、隣席の組合員大野二郎が基金の職制である父大野武雄から手紙で尾崎とは付きあうなと指図されたこともあつた。さらにこの業務第二課では、他の職員が係長の前方に机を並べているのと異なり、申請人だけは係長の右横に机を配置されて寸分の離席をもいちいち注意され、また他の組合員との話しあいもメモされて監視される状態であつた。(5)また、昭和三七年三月には、申請人が勤務時間中所属係長の許可を得て、他の職場で組合員に組合事務の連絡をしているのを該職場課長から注意されたので、許可済である旨抗議したところ、これを暴言であり職場規律をみだすものとして、大阪基金幹事長より警告書を発して申請人を個人攻撃し、ひいては他の組合員からの離間を図つた。このように基金側では申請人が共産党員である旨を指摘し、またあからさまに申請人を企業から排除することを公言し、申請人の言動を看視し、正当な組合活動に対しても就業規則その他を口実に干渉するなどの行為を重ねる一方、組合員に対しては職場規律をくりかえし強調し、申請人らを批判して団結を阻害させることに狂奔してきた。

(六)  以上の諸点からあきらかな如く、本件解雇は、被申請人において、申請人の正当な組合活動を嫌悪し、これを理由に申請人を企業から排除するとともに、申請人の組合活動を完全に封殺して組合の団結を弱め、組合に対する被申請人の支配を貫徹する意図の下になしたものであり、もつとも典型的な不当労働行為であるといわなければならない。

二、労働協約違反

本件解雇は、予告期間なしに即日解雇されたものであるところ、基金と全基労との労働協約第三七条によれば、同第三六条第一項第一号および第二号により解雇する場合には、予告後七日以内に組合より異議の申出ができ、右の申出があれば、基金は苦情処理手続によつて処理せねばならず、右処理期間中は発令が留保されなければならない旨規定されており、このことからみて、同協約第三六条第一項第一号および第二号により組合員を解雇するときは、同条第二項の規定にもかかわらず、即日解雇は許されず、解雇の予告をしなければならないものと解すべきである。したがつて、予告なしに即日解雇した本件解雇処分は、右労働協約に違反し無効なものといわなければならない。

三、解雇権の濫用

本件解雇は、正当な解雇理由が存在せず、解雇権の濫用にわたるもので無効である。すなわち、解雇理由として被申請人が主張するところは、著しく事実に反しもしくは事実をねじまげ誇張したものであつて、とうてい容認することができない。申請人は疾病のため所定の手続により欠勤を重ねたことはあるけれども、右は著しく勤務成績不良といいうるものではなく、申請人よりも欠勤回数の多い者もあり、また勤務時間中の無断離席が多く勤務に熱意を欠いているような事実は全く存しないのである。

第四、仮処分の必要性

以上述べた如く、本件解雇は違法、無効であり、したがつて、申請人は引続き被申請人の従業員としての地位を有し申請の趣旨記載の資金請求権を有する。

申請人は雇傭関係存在確認ならびに賃金請求等の本案訴訟を準備中であるが、申請人は、被申請人からの賃金収入を唯一の生計の資とする労働者であるところ、家族をかかえて他に資産もなく、借財や別途収入の方途もない現状にあり、本案判決の確定をまつていては回復し難い損害を蒙むるので、本申請に及んだ。

第五、被申請人の主張に対する反論

(一)  申請人の欠勤および遅参の日数、回数について被申請人の主張する数字は争わないが、右の日数および回数程度ではいまだ解雇事由として就業規則第八四条第一項第一号に記載されている「著しく勤務成績のよくない場合」には該当しない。すなわち、基金には申請人とほぼ同じかもしくは申請人以上に欠勤日数の多い従業員は他にも相当数存在するにもかかわらず、これらの者に対しては解雇処分は行なわれていない。また、申請人は、欠勤に際してはその都度届出をしており、なお欠勤が七日以上に及んだ場合には、所定の診断書を提出しているのであつて、欠勤理由は明白であり、不定期の欠勤が多いとしてもこれは申請人の病気の性質上止むを得ないことである。なお、大阪基金では申請人だけが特に不定期の欠勤が多いとは云えない。そして前記就業規則の条項は、就業規則の他の条項、その他の諸規程との関連において考察すべきものであるところ、基金の従業員に対しては一年間良好に勤務した場合には定期昇給が行なわれることになつており、この場合「一年間良好に勤務した」とは昭和三六年までは年間の欠勤日数が四〇日以内であること、昭和三七年以後は年間の欠勤日数が九〇日以内であることを前提とされていたのであり、したがつて申請人もこれに該当し毎年定期昇給を受けて来たのである。年間の欠勤日数が三〇数日であることのみをもつては、いまだこれに該当するといえないことは明白である。

なお、被申請人は申請人の欠勤届、遅参届に虚偽の記載があると主張するが一般に医師が被保険者台帳に療養の給付について記載する際にかならずしも受診日を正確に届け出るとはかぎらないのであつて(特に投薬のみの場合には一括して給付請求をする場合もある)、右の一事をもつて申請人の届出に虚偽があつたということはできない。

(二)  次に、被申請人は、解雇理由として、「勤務時間中の無断離席が多く、かつ執務に熱意を欠くので、昭和三七年一〇月以降しばしば上司から注意したが、これに対しかえつて暴言をはき、反抗的態度をとつた」と主張するが昭和三七年一〇月以降本件解雇までに注意を受けたのは三回であり、申請人が反抗的態度をとつたのは二回に過ぎない。しかも右は注意そのものが不相当であつた場合であり、これに対し申請人が抗弁したことは当然であつて、反抗的態度と指摘されるいわれはない。また無断離席が多く他人の仕事中に一人読書していたりして勤労意慾に欠け協力性が乏しかつたと主張するが、このような事実は全く存在しない。

被申請人代理人は主文同旨の裁判を求め、申請の理由に対する答弁および被申請人の主張を次のとおり述べた。

第一、事実の認否およびこれに関連する主張

(一)  申請理由第一、(一)、(二)は認める。但同(二)については、申請人が本件解雇当時一ケ月平均金二八、四三二円の賃金を得ていたことは認めるが、この金額は解雇前三ケ月における申請人の基準給与二六、七八〇円に超過勤務手当および通勤手当を含めたものを基準にして算定されたものである。しかし、解雇の無効を前提とした場合の本件における毎月の支給金の額は、申請人が労務を提供しなくても申請人の生活保障のために必要かつ十分な金額であるべきである。この観点からすれば、申請人の本俸二二、七〇〇円、暫定手当二、二八〇円、扶養手当一、八〇〇円の合計二六、七八〇円をもつて申請人が毎月受くべき金額とするのが妥当である。

(二)  申請理由第二は認める。

(三)  申請理由第三、一(一)について、申請人が全基労の組合員でその中央委員、同近畿地区委員長ならびに大阪支部関係役員の地位にその主張する期間就任していたことは認めるが、その余は不知。

同(二)について、超勤手当は法律に定められた額だけ支給している。年次有給休暇ならびに生理休暇につき、本人の意思を抑圧して与えなかつた事実はない。女子職員の三〇分の早出については、元来基金では始業午前八時三〇分の定めであるところ、一般に猶予時間三〇分を認めていた関係もあつて、事務室の掃除の必要上各係班ごとに当番制で早出をさせていた事情がある。期末手当ならびに昇給について勤務成績の良否によつて若干の差等を設けることは、労務管理上当然のことであつて、差別取扱ではない。職員の自宅における事務処理については不知(基金の取扱う書類は重要なものばかりであつて、事務所以外の場所に持出すことは堅く禁じられている)。その余の主張事実は否認。

同(三)について、基金において申請人主張の(1)(2)(3)の諸点につき改善をなしたことは認める。職員の福祉の向上、労使関係の改善を念願する被申請人においては、事情の許す限り組合側の要求に応じる方針であつた。ただ(3)のうち従来欠勤中の休日も欠勤日数に算入していたのを不算入とすることとしたのは、組合の要求に基いた結果ではなく、支払基金本部の方針によつてそのようになつたものである。

同(四)について、被申請人において申請人らの正当な組合活動を嫌悪していたとの事実は否認。友納常務理事の発言は申請人らの正当な組合活動を嫌悪し、これを弾圧しようという趣旨のものではない。また職員が勤務時間中勤務に服さず組合運動をした場合その時間に応じた賃金を支給しないことは「ノーワーク・ノーペイ」の原則からして当然のことである。被申請人の従前の寛大な取扱いを奇貨として、昭和三五年および三六年前半頃勤務時間中に組合活動をする弊害が顕著となり、これを放置するときは業務能率は著しく低下し、職場秩序は破壊される虞れが大となつたので、被申請人においては一般企業なみに従業員の規律を正しくする意図で、かかる場合の賃金不支給を実施したまでのことであつて、正当な理由なく組合活動を妨害したものではない。昭和三七年一〇月の業務主任者打合会資料は、基金本部作成にかかる業務規定等についての改正計画案であり、その後さらに検討を加えられた結果、その骨子は昭和三九年八月一日から漸く実施されたものである。またこれは秘密文書ではなく、職員に対する勤務評定を目的とするものでもない。基金の業務命令に正当な理由なく従わない一部の職員に警告書を発送した事実は認める。(4)の団体交渉の経過については認めるが、被申請人側の他の委員がなしたという発言内容は否認。次に更衣室については、正規の更衣室を畳一畳半ほど拡張したため、その後において申請人のいう「衝立で囲んだ更衣室」の撤去をなしたものに過ぎない。

同(五)について、林幹事長の報告に関する事実、大野業務部長の発言内容は否認。申請人に対し主張の如く配置転換をなしたことは認めるがこれは全く業務上の都合によるものである。また、申請人の事務机の配置は申請人一人だけの問題ではなく、他の係においても古参席次の者の机は係長の机のすぐそばに置かれるのが常態であり、申請人を看視するためそのような机の配置をなしたものではない。他の組合員との話合いがメモされたことは否認。(5)について、昭和三七年三月「許可を得て他の職場で組合員に組合事務の連絡をなしていた」との主張部分中「許可を得て」の点は否認。なお、このことに関連して申請人は注意を受けたにもかかわらず却つて反抗的態度を示したので、これに対し警告書が発せられた事実は認めるが、それは個人攻撃とか他の組合員からの離間を図るためのものではない。

申請理由第三、二の主張は争う、被申請人と全基労との労働協約は、有効期間が昭和三六年一一月一八日と定められていたが、各当事者は、協約第一三四条に従い、同年一〇月一八日相互に文書をもつて改訂申入をなし、その後団体交渉を続けたが協議が成立するに至らなかつたので協約第一三五条により、翌三七年一月一七日をもつて協約は失効した。

申請理由第三、三および同第四、の主張は争う。

第二、解雇理由についての主張

本件解雇理由は前記申請理由に記載されたとおりであるがその内容を詳しく説明すれば次のとおりである。

(一)  欠勤および遅参が著しく多かつたこと

申請人は、前記の如く昭和三七年中において欠勤回数は四六回(半日欠勤も一回とし、二日連続して欠勤した場合は二回とする)、正味欠勤日数は三六・五日であり、遅参は一五回であつた。また昭和三八年一月一日から七月一七日までの間の欠勤回数は三〇回、正味欠勤日数は二五・五日、遅参一二回であつた。しかして、右昭和三七年中三六・五日の欠勤日数は大阪基金における男女合計一ケ月一人あたり平均欠勤日数〇・一三日これを一二倍した一ケ年平均欠勤日数一・五六日の約二三・四倍にあたり、男子のみの一人当り一ケ月平均欠勤日数〇・一九日これを一二倍した一ケ年平均欠勤日数二・二八日の約一六・一倍にあたる。また昭和三八年一月から七月一七日までの欠勤日数二五・五日は少くとも右の比率を上廻るものと推測される。およそ、欠勤の処理は、年次有給休暇(二〇日)、特別休暇等を使用したのちになされるのが常態であるから、右平均欠勤日数の如く極めて少いのが当然である。したがつて、右平均日数を大きく上廻りしかも出欠常ならざる状態で欠勤した申請人の勤務成績は著しく不良であるものと断ぜざるを得ない。

なお、申請人の病気を理由とする欠勤、遅参について付言するに、被申請人の雇傭する従業員により組織されている「社会保険支払基金健康保険組合」保管の「被保険者台帳」によれば、申請人は昭和三七年中において、同年一〇月四日から同月中に二回急性大腸炎のため大阪赤十字病院で受診しており、また同月八日から同月中に二回同じ病気のため他の医療施設で受診しており、計一〇月中に四回であり、昭和三八年中には、同年三月一八日から同月中に四回慢性大腸炎と感冒のため高田医院で受診しており、別に同年三月一八日から同月中に五回鼻炎のため右とは別の医療施設で受診しているだけであるばかりか、昭和三八年三月一八日から慢性大腸炎のため同月中に四回診療を受けただけなのに診断書においては、同日から計二〇日間の休養加療を要するものとされていて申請人は同月二二日から四月二日まで連続欠勤してその旨の届出を四月三日に提出している。また、同三八年四月五日の午前中半日欠勤した際および同月九日に五〇分遅参した際には、ともにその理由を通院として届け出ているが申請人の右被保険者台帳には申請人が同三八年四月中に受診したことの記載は一度も見あたらないので、右半日欠勤および五〇分遅参の届出は虚偽のものである。

(二)  勤労意慾に欠け職場における協力性も乏しかつたこと。

申請人は勤務時間中しばしば離席し、また勤務に熱意を欠き同僚が仕事をしているかたわらで勝手に読書にふけるなどのことが多く、主任に次ぐ地位にありながらこれを補佐することもなく却つて他の者に仕事をして貰うなど勤労意慾を欠いていた。

(三)  上司の指示、命令に従わず反抗的態度に出ることが多かつたこと。

前記の如き申請人の著しい欠勤、遅参に対し直属課長からしばしば注意がなされたにもかかわらず、申請人は一向にこれに従う様子がなかつた。また上司から注意を受けるとこれに反抗的態度を示し、「課長、仕事せんか」とか「課長、席に戻れ、欠勤届は出してやる」など暴言を吐き、常に職場の秩序を乱していた。

以上のように、申請人は欠勤、遅参が著しく多い上、その勤務態度は、申請人と被申請人との間の労働契約上の義務に著しく違反したものというべきであるから、被申請人は職場秩序の維持と合理的労務管理の必要上、職員の解雇事由を定めた就業規則第八四条第一項第一号により申請人に対し本件解雇を通告したのである。

(疎明省略)

理由

一、被申請人が、社会保険診療報酬支払基金法に基いて設立された特殊法人であつて、各種社会保険に関する診療報酬請求を審査し、その適正、迅速な支払をなすことを業務内容としていること、被申請人の機構としては、東京都に本部、各都道府県に従たる事務所である各都道府県社会保険診療報酬支払基金が設けられており、その代表権は本部理事長にあるが、従たる事務所には幹事長がおかれ、幹事長には、定款の定めにより所轄業務に関し裁判上、裁判外の一切の行為をなし得る権限が与えられていること、申請人が、昭和二七年三月一七日被申請人に雇傭され、その従たる事務所である大阪基金に勤務していたこと、被申請人が、昭和三八年七月三〇日、当時の大阪基金幹事長名で、申請人に対し、基金就業規則第八四条第一項第一号により同日付で解雇する旨の意思表示をなしたことは、当事者間に争いがない。

二、申請人代理人は、まず、本件解雇は、申請人の正当な組合活動に対し報復的に行われたものであり、かつ申請人の所属する全基労の運営に支配介入したもので、不当労働行為として無効であると主張するので、この点について判断する。

(一)  申請人が全基労の組合員であり、昭和三五年三月から同三六年二月まで全基労近畿地区委員長、同大阪支部執行委員を、同三六年三月から同年八月まで全基労中央委員、同近畿地区委員長、同大阪支部執行委員を、同年九月から同三七年八月まで全基労中央委員、同近畿地区委員長、同大阪支部書記長を、同年九月以後全基労大阪支部執行委員をそれぞれ歴任したことは、当事者間に争いのないところである。さらに、申請人本人尋問の結果によれば、申請人は、右のほか、昭和三六年九月から同三七年八月まで全基労合理化対策委員、政労協(政府関係特殊法人の従業員で組織する各労働組合の協議団体)近畿支部議長、同年九月以後全基労定員問題調査委員、同近畿地区教宣部長の各役職にもあつたことが認められる。

そして、成立に争いのない甲第二、第七号証、証人大野喜八郎、同長谷川利明、同福原守邦、同宮田文雄の各証言、申請人本人尋問の結果、弁論の全趣旨を綜合すれば、次の事実を認めることができる。

(1)  基金は、前記の如く各種社会保険の診療報酬の審査ならびにその適正迅速な支払を業務内容としているところ、その審査業務処理のため各都道府県基金に医療担当者代表、保険者代表、学識経験者各九名(専任審査委員)で組織する審査委員会が設置されており、なお各基金の審査件数に応じて審査事務嘱託をおくこととされ、大阪基金の場合昭和三六年当時約一二〇名の審査担当者を擁し、これら審査担当者は毎月約八日間基金に勤務して各医療機関から提出される診療報酬請求につき診療内容の適否の審査を行つていた。また、右審査業務を補助しさらにこれに附随する事務を処理する部門として各都道府県基金に業務部があり、医療機関より提出される診療報酬請求書につき記載事項の不備を点検し、審査を経て確定した診療に対し一定の基準に従つて診療報酬を支払う等の事務を行つている。大阪基金における事務処理手続の概要は、医療機関より当月分の診療請求書を一括して翌月一〇日までに基金に提出し、これを受理した業務部では担当職員がその記載内容につき記載洩れ等不備の有無を点検したのち審査担当者に提出し、審査担当者は同月一六日頃までに審査を行い、審査終了後は翌々月の五日頃までに報酬金額の計算をなした上その請求書を各保険者に送付し、同月一五日までにその確認を経たのち、同月二〇日までにあらかじめ保険者より委託を受けた金員より医療機関に対する支払を完了するものとされている。なお、右の如き業務処理については毎月日程表により計画がたてられ、日々の事務処理はこれに従つてなされるため、特定の日の予定事務が完了しない場合はその後の事務処理に支障を来すこともある。

(2)  大阪基金には、昭和三五年三月当時三〇〇名近くの職員が勤務していたところ、社会保険制度の普及に伴い、基金の扱う診療報酬請求件数は年を追つて増加し、業務部職員の担当する事務量も増加の一途をたどつたが、定員の増加がこれに伴わないため職員の負担が加重される傾向がみられた。勤務時間中に処理できない事務については、超過勤務により処理されることもあつたが、予算上の理由でこれにも限界があつたため、勢い事務が渋滞することとなり、当時基金、全基労間には残業協定がなく残業に関する規制も明確でなく、また、事務処理の方法が個人分担制で診療種目、行政区により各職員の負担部分が定まつていることも相まつて、職員の中には勤務時間外に居残り等により事務処理をなすものもあつた(申請人は、基金側が無償残業を強要したと主張するが、この点を認めるに足りる疏明は存しない)。年次有給休暇は、就業規則上も明定され、基金側も職員の請求がある場合原則として許可する方針であつたが、前記の如き事務の過重から、休暇をとつた場合その後の事務処理に支障を来す虞があり、また他の職員に迷惑をかけることもある等の事情で、自然休暇をとり難い実状であつた。毎年六月と一二月に支給される手当中に職務給、能率給があつて、勤務成績により差等を設けるものとされ、また定期昇給、特別昇給の決定についてこれが不公平だとしてこのような給与の決定方法に不満を抱く者もあつた。

(3)  全基労は、昭和二三年基金発足直後に、全国の基金従業員で結成された単一組合で、中央に本部、各都道府県基金所在地に支部を置いていたところ、企業内組合に通常あり勝ちな傾向として、労働組合としての主体性に欠ける面があり、時には幹部腐敗が組合内部で問題とされることもある状況で、いわゆる職場の労働条件の改善に積極的でなかつたことのため、昭和三三年頃から全国的に従前の組合の行き方に対する批判が強まり、全基労執行部内でも組合員の権利擁護、職場の民主化のため職場内における組合員の不満、要求を進んでとりあげ、団体交渉を通じてその改善を理事者に要求する必要があるとする意見が支配的となり、所謂職場斗争方式の必要性も強調されるようになつた。このようにして、全基労各支部では、職場内での組合活動が次第に活発化する傾向がみられるようになつたが、申請人の所属する全基労大阪支部においては、この傾向に特に顕著なものがあつた。その斗争および成果の主要なものとしては、(イ)昭和三五年六月の手当斗争後、支部独自の斗争として、前記成績給、職務給撤廃等を要求して超勤拒否等を内容とする斗争を行い、その結果、成績給、職務給の範囲がある程度縮少され、従前行われていた女子の早出による労働の廃止も実現し、午前の勤務開始時間につき慣行的に行われていた九時始業が文書化され、また、四〇日以内の欠勤は定期昇給に際し差別理由としないことを確認し、なお、同年秋基金と全基労との間で残業協定が締結されたこともあつて、大阪基金でも残業に関する規制が明確になされるようになつたこと、(ロ)昭和三六年六月の手当斗争に際し、全基労本部の指令で職場の労働条件改善について大阪支部独自の一四項目にわたる要求を掲げて時間外労働拒否等の斗争を行い、その結果、従前有給休暇請求の一つの障碍となつていた休暇簿の理由欄の廃止、職務給、成績給の廃止、宿日直は希望者だけに割当てる、小使の勤務時間を一般職員並みに短縮する、市内出張の場合は乗車券を前渡しする等の要求が実現したこと、(ハ)昭和三七年一〇月に開催された基金近畿地区業務主任者打合会において作業日報制に関する業務規定の改正が討議されるや、これを職員の勤務評定につながるものとしていち早く反対の態度を決定し、その後大阪基金が右改正案の趣旨に従い、従前作業日報を班ごとに集計して提出していたのを各個人別に提出するよう指示したのに対しこれを拒否する斗争を行い、また、同じ頃全基労の賃上げ斗争の一環として、安全運転斗争(医療機関より提出される書類の調査につき、従前点検の省略を許されていた欄についても克明に点検し、作業能率を低下させる争議行為)を行つたこと等がある。特に前記昭和三六年六月に実施した斗争は「大阪の六月斗争」として全基労内部で高い評価を受けるに至り、これを契機に大阪支部での組合活動はますます活発となり、その動向は全基労内部は勿論、基金側からも注目されるようになつた。

(4)  申請人は、昭和三五年三月組合役員就任とともに、近畿地区各支部特に大阪支部において、長谷川利明らとともに組合活動の中心となり、前記の如き職場斗争を積極的に指導したほか、中央委員としても活躍し、当時の組合員の支持の下に活発な組合活動を続けていた。

(5)  このようにして、全基労は日常の職場斗争を重視する傾向を強めてそのための団体交渉を強力に行うようになり、大阪支部においても、基金側との間で団体交渉がくり返されたが、その際、組合側はその要求を達成しようとすることの急なるあまりに、労働協約上の交渉手続を遵守せずに開始要求をなしたり、また開かれた交渉の席においても、組合役員の中には徒らに怒声をもつて応酬し、また基金理事者を軽視する如き態度を示す者もあるなど、節度を欠いた交渉態度であつたため、かえつて職場における労使慣行の確立を妨げたばかりか、相互の不信感を助長し、さらに組合役員らの中には、日常勤務の上でも無断離席が多かつたり、職制に対し反抗的言動をなす者もあつて、職場規律維持の点からみて、好ましくない状況すらみられるようになつた。

(二)  次に、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第一三号証、証人長谷川利明、同宮田文雄、同島田虎之助の各証言、弁論の全趣旨を綜合すると、前記の如く全基労各支部では日常の職場活動が極めて活発化していたところ、これに伴い勝ちな過激な行動傾向に対し組合内部でも批判的な動きがみられ、基金の社会的使命を自覚しその上に立つて良識的な組合活動をなすべきものとする意見すら次第に強まり、この動きは昭和三六年一二月の年末一時金斗争に関する中央委員会で、その斗争方式をめぐり早くも表面化し、関東地区の一部委員が中心となつて分裂的行動をなすなど、組織分裂のきざしがみられるようになつたこと、そして全基労大阪支部においても一部組合員の間に前記の如き批判的な動きがあり、昭和三七年後半に至り一部有志が組合運動の民主化を標榜して民主化同盟を結成するに至つたが、申請人らを中心とする従前の組合活動に対抗するだけの行動はなし得なかつたところ、昭和三八年七月三〇日申請人の解雇を含む支部組合幹部に対する処分が行われたことを契機に、その動きは次第に活発化の傾向を示し、申請人に対する解雇についても、当初大阪支部では直ちに反対の態度を決め斗争委員会を設け抗議署名運動等を行つたりしたものの、さほどの盛上りがみられず、その後の全基労臨時大会で反対斗争打切りの方針が決定されたことと相まつて、反対斗争は打切られる結果となつたこと、前記の如く全基労内部には早くから組織分裂のきざしがみられたものの、その後おもてだつた進展はみられなかつたところ、昭和三八年後半頃から全国各支部で一部有志を中心にその準備が進められ、昭和三九年三月二五日広島、岡山基金で多数の組合員が全基労を脱退し新組合を結成したのを契機に、全国的規模で組織分裂が行われ全国的組織として社会保険診療報酬支払基金労働組合が結成されることとなり、そして新組合はその後一年間に三、〇〇〇余名の組合員を擁する大組織となつたのに対し、従前の全基労は組合員数約三五〇名に激減する結果となつたこと、同様の組織分裂は全基労大阪支部でも起り、昭和三九年五月には右新組合傘下の大阪基金労働組合が組合員数約二二〇名となつたのに反し全基労支部は五〇余名に減少する結果となり、なお大阪基金では両組合に対し中立的立場に立つ六、七名で結成された大阪基金職員組合も存在していることが認められる。

(三)  また、組合活動に対する基金側の態度をみるに、成立に争いのない甲第三、第七、第一二号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第一八号証の一、二、乙第四ないし第六号証、証人長谷川利明、同福原守邦、同大野喜八郎の各証言、申請人本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められる。

(1)  基金においては、前記の如く全基労の職場斗争が激化するに伴い、職場規律の確立を強く求める態度がみられるようになつた。すなわち、昭和三七年一二月には、基金理事長名で「職員の皆様へ」と題する印刷物を全職員に配布し、基金の社会的使命を強調するとともに、近時基金職員の中には職制上の組織を無視し、業務上の指揮命令に違反し「職員には仕事をする上に責任はない」と公言して基金職員としての職責を果さないことを当然の権利であるかの如く主張して他を煽動する者があり、これを放置するときは業務の正常な運営を阻害し、延いては基金の存立さえ危惧されるような憂慮すべき情勢にあると指摘し、さらにこのような事態に対し基金は「信賞必罰」を明かにし、就業規則違反者に対しては断固たる態度をもつて臨むことを警告した。また、同年一一月事務監査のため来阪した基金本部友納常務理事も、大阪基金における労務管理の徹底を強く求め、職場規律をみだす者には就業規則に照し厳重な処分をすることを明かにした。そして、基金側は全基労の動向についても強い関心を持つようになつたばかりでなく、その職場規律の確立と自らの組合に対する姿勢を正そうとすることの急なるあまり正常な労使関係を樹立すると称して全基労を指導しその体質改善を行わせる必要があるとすら強調するに至つた。すなわち、昭和三七年四月に開催された全国幹事長会議において、前記友納常務理事は当時の組合の動向について詳しい説明を行い、すすんで全基労およびその運動方針の性格、欠陥を批判し、これに対処するため、職場管理の方針と称して、全基労の体質改善を積極的に指導するよう要望して組合の運営に介入する意図あるかのような言明すらなした。また、基金側は、前記組合分裂の傾向についてもこれを察知しており、右幹事長会議における友納常務理事の説明でもこの点に触れ、組合の分裂を傍観する態度ではなく、できる限り単一組合としての全基労の存在を希望する言明を行つた。

(2)  次に、大阪基金においては、申請人ら組合幹部を中心とする激しい職場活動に対し、当初は何らの規制をなすこともなく傍観的態度に終始し、度重なる団体交渉にも無方策に応じていたところ、昭和三六年七月大野喜八郎が業務部長として着任した頃から、前記基金の方針と同様前記のような組合活動に対し次第にこれに対抗する態度で臨むようになり、職場管理も厳しく行われるようになつた。すなわち、団体交渉に関し幹事長の権限外の交渉事項についてはこれを拒否することとし、交渉手続についても協約上の規制を遵守することを要求し、これに従わずに組合役員等が多人数をたのんで執拗に開始を要求するなどした場合には、強談としてその時間に対応する賃金カツトを行い、また有給休暇請求の取扱を厳格にし、業務上必要のある場合や組合の斗争戦術として請求する場合はこれを許可しないこととし、さらに、従前殆んど放置されていた勤務時間中の組合用務のための離席についても、上司の許可を得ることを厳重に要求し、許可を得ず無断離席をなす者や上司に不服従な言動をなす者等については、職制にこれを記録させ、場合によつては警告書を自宅へ送付するなどの措置がとられた。前記個人別作業日報提出拒否斗争に際しては、指示に反し個人別作業日報を提出しなかつた多数の職員に対し警告書を送付した。ところが、右の如き措置が申請人らの組合活動に対する職場秩序維持の見地からの規制を主要な目的としてなされたことから、自然組合役員の執務状況に対する看視が厳しくなり、組合役員の些細な離席についても詮索、注意がなされる場合が多く、そのため組合幹部をして基金は職場秩序維持の名のもとに組合を弾圧しているとの疑念を抱かせ、不必要な摩擦を生じることもあつた。

(四)  ところで、申請人代理人は、基金側が申請人ら組合活動家や全基労に対して極端な嫌悪の情を抱き、また組合を弱体化させるため悪質な不当労働行為を重ねていたと主張するので、以下その根拠として挙げている諸点について順次検討することとする。

(1)  まず、昭和三六年七月基金側が組合弾圧を目的として大野喜八郎を大阪基金業務部長として派遣したとの点については、その頃同人が業務部長として大阪基金に着任したことは前記のとおりであり、また証人大野喜八郎の証言によれば、同人は労務管理の直接の責任者である総務部長が病身であつたことから、着任当初からこれに代つて組合側との交渉の任にあたつていたことが認められるが、これをもつて同業務部長が組合弾圧を目的として大阪基金へ派遣されたものとはなし難く、他にこれを認めるに足りる疏明は存しない。

(2)  次に、昭和三六年一一月頃から従前なされていなかつた勤務時間中の組合活動に対する賃金カツトを実施し、また、団体交渉につき大阪基金の権限外事項と強弁してこれを拒否したとの点については、右賃金カツトを実施したのは、前記認定の如く従前勤務時間中の組合活動につき無規律な点が多く、団体交渉についても協約上の開始手続を経ずにその開始を多数の組合員が同席して強硬かつ執拗に要求し続けるなどの傾向がみられたため、右の如き場合にこれを規制する措置としてなされたものであるから、殊更正当な組合活動を抑圧する意図に基くものとは認め難いものというべく、また団体交渉についても、前記の如く幹事長の権限外の交渉事項についてはこれを拒否する方針がとられたが、幹事長の権限で処理し得る事項についてまで拒否したものではないのであり、申請人本人尋問の結果により成立の認められる甲第二一号証によれば、当時基金と全基労との間で締結されていた労働協約には支部における団体交渉は幹事長の権限内の事項についてなされることが明記(第一一八条第一項)されていたことが認められる点からみても、右をもつて不当な措置であつたとみることはできない。

(3)  昭和三七年一〇月以後の個人別作業日報提出指示に対する反対斗争に対し基金側がこれに参加した多数の組合員の自宅へ警告書を送付したとの点については、右斗争は前記(一)(3)において認定した如く、大阪基金において業務処理に関し従前の作業日報提出の形式を改めこれを実施するための指示を行つたのに対し、組合においてそれが職員の勤務評定につながるとして個々の組合員をしてこれを拒否させたものであるが、このように基金において業務上の必要ありとしてなした個別的な業務命令そのものに対し組合の判断でこれを拒否することは、組合が業務処理の方法に干渉しこれをその望む方向へ変更する結果を生じさせることを意図するものであり、仮にそれが争議行為として行う意図のもとになされたものであつても、本来消極的な集団的労務不提供を本質とすべき争議行為の基本理念からみて異質的な要素を包含するものというべきであり、これを正当化すべき特段の事情が存しないかぎり、違法な争議行為とみるのが相当であるから、基金側がこれに参加した組合員に対し前記の如く警告書を発送したことを目して不当労働行為とすることはできないものというべきである。

(4)  申請人主張の昭和三七年年末斗争の際における団体交渉の経過については争いのないところ、団体交渉の席で基金側の委員が「君達は団交しているつもりかも知らんがこちらはただ聞きに来たのだ」と放言したとの点については、これを認めるに足りる疏明は存しない。

(5)  昭和三八年六月四日基金側が更衣室を女子組合員らに無断で突然取毀したとの点についてもこれを認めるに足りる疏明がない。

なお、組合活動に対する基金側の態度は前記(三)において認定したとおりであるが、これによれば基金側は全基労の職場斗争的な行動傾向に対し、それが徒らに職場規律をみだし延いては業務能率を低下させることを憂慮し、これを好ましくないものとする態度をとり、また、違法な組合活動に対しては労務管理を通じて積極的にこれを規制する意図を有していたものとみることができ、また、その間、組合幹部をして組合を弾圧するのではないかとの疑念を抱かせるような規制ぶりもあつて不必要な摩擦を生じさせたことのあることも前記認定のとおりであるが、しかし一般に使用者が企業内に存する組合の動向に関心を示すのは当然であり、またその活動についても職場秩序の遵守を要望し、違法な組合活動の行われないよう規制することも許されるところであるから、右基金側の態度をもつて基金側が正当な組合活動まで嫌悪し、これを抑制する意図であつたとみることも相当でないものというべきであり、前記昭和三七年一二月理事長名で全職員に対してなした警告、同年一一月友納常務理事が大阪基金においてなした説示についても、その内容をみれば、前記基金の一般的態度を表明したものとして是認されるものと考える。ただ、昭和三七年四月の幹事長会議における友納常務理事の説示で、全基労およびその運動方針の性格、欠陥を指摘したばかりでなく、職場管理の方針として全基労の体質改善を積極的に指導することを要望して組合の運営に介入する意図あるかのような言明をしているのは、本来組合の性格、運動方針についてはその所属組合員の多数決により自主的に決定さるべき事柄であり、使用者が組合の組織や運営に介入することが許されない(労働組合法第七条第三号)ことからみて、行き過ぎた態度であるとの誹を免れ得ないけれども、前記甲第一二号証中の右理事の発言内容を全体として考察すれば、各幹事長に対し積極的に組合運営に介入して全基労の体質改善を推進することを指示したものとは解し難く、むしろ各都道府県基金において職場管理の任にあたる幹事長のとるべき態度、心構えについて一般的説示をなしたに止まるものとみるのが相当である。右発言が基金の全職員に配布される「月刊基金」なる冊子に掲載されていることからみてもそのように解するのが相当と思われる。

(五)  次に、申請人代理人は、基金は申請人の積極的、中心的組合活動に対し早くからこれを看視して申請人の組合内での孤立化と企業からの排除を企てて来たと主張するので、その根拠として挙げている諸点について検討するに、まず昭和三六年三月の支部執行委員定期改選で申請人が再選された際、当時の幹事長が基金本部に「尾崎と所川は共産党員であり今後この二人に組合が引張られる虞がある」と報告したとの点についてはこの点に関する申請人本人尋問の結果は当裁判所の心証を惹かないし、他にこれを肯認できる疏明は見あたらない。また、昭和三六年夏期斗争後右所川が病気で休職するに至つた際大野業務部長が「もう一人尾崎も倒してやる」と放言し、さらに、昭和三七年はじめ頃「わしは組合の三分の一を握り、尾崎が三分の一を握つている、残り三分の一は中間層だ」と述べたとの点についてはこれを認めるに足りる疏明がなく、また申請人に対し昭和三五年以後業務課から資金課支払係へ、その後また業務第二課へと配置転換のなされたことは争いのないところであるが、これが申請人を看視しまた他の組合員との離間をはかるためになされたと認めることも困難である。次に、証人大野二郎の証言によれば昭和三六年一〇月頃当時資金課支払係において申請人の隣席で執務していた同人は、当時福岡基金の業務課長であつた父大野武雄から手紙で申請人と付きあわないよう注意を受けたことがあることが認められ、そして、このことから、当時申請人の存在が基金本部等において認識されていたことは、推測し得るところであるが、この点だけから基金側が申請人を企業から排除することを企てていたものと認めることはできない。また業務第二課内での申請人の机の配置の点については、証人北垣甚七の証言によれば、昭和三八年四月頃、申請人が配属されていた業務第二課において、新規採用による人員増加に伴い机の配置換を行つた際、申請人の机が係長の前から横へ移されたことが認められる。しかし、同証人の証言によれば、このような机の配置換は他の係においても同時になされたものであることが認められることからみても、これをもつて特に申請人に対し看視をきびしくするためになした措置とは認め難いものと考える。尤も、昭和三六年七月頃から大阪基金において組合役員などに対しその執務状況の看視がきびしく行われるようになつたことは前記のとおりであり、申請人に対しても同様の看視がなされたことが推認できるが、それが申請人を企業から排除する意図の下に行われていたことを認めるに足る疏明は存しないところである。さらに昭和三七年三月上司に暴言をはいたとして幹事長名で申請人に対し警告書が発せられたことは争いのないところであるが、これが殊更申請人を個人攻撃し他の組合員との離間をはかるために行われたことを認めるに足りる疏明も存しない。

(六)  以上不当労働行為意思認定の基礎となるべき諸事情について検討を加えて来たが、これを総括するに、本件においては基金側は全基労の行動傾向に対し前記理由からこれを好ましくないものとする態度をとつていたこと、この点から全基労大阪支部の中心的指導者の一人である申請人の行動に対しても同様の感情を抱いていたことも推認し得ることの事情が存し、これらの点は申請人の前記活発な組合活動や本件解雇当時全基労の中で従前の運動方針に対する批判的な動きがみられ組織分裂の傾向が存したこと(基金側がこのような動きを積極的に支援し、また組織分裂を推進したと認めるに足りる疏明はないが、それが基金の社会的使命を自覚し良識的な組合活動をなすべきであるとの立場からの行動であつたことからすれば、右傾向を好ましいものと受けとつていたであろうことは推認するに難くない)とともに、本件解雇の理由如何によつては、これについて不利益取扱ないし支配介入を推認する根拠となりうるものであるが、それ以上に、本件解雇が不当労働行為であることを決定づけるに足りる事情についての疏明は存しないものというべきである。そこで、次に本件解雇理由の当否について検討してみることとする。

(1)  まず、本件解雇の性格について考えるに、申請人に対する解雇が申請の理由第二((1)欠勤遅参が多く上司の注意にもかかわらずこれを改めない、(2)勤務時間中の無断離席が多くかつ執務に熱意を欠くので上司からしばしば注意したが、これに対し暴言をはき反抗的態度をとり、執務態度を改めない)の事実を理由として、基金就業規則第八四条第一項第一号に該当するものとしてなされたことは争いのないところである。そして成立に争いのない乙第七号証によれば、右就業規則第八四条は通常解雇に関する規定であり、その第一項第一号には「著しく勤務成績のよくない場合」解雇する旨定められていること、他方右就業規則第七章第二節は懲戒に関して規定しており、同節第七七条は懲戒事由として第一号に「この規則その他遵守すべき事項に違反したとき」第二号に「職務上の義務に違反し又は職務を怠つた場合」第三号に「基金職員たるにふさわしくない非行のあつた場合」をそれぞれ掲げ、また第七八条は懲戒処分を情状程度により訓戒、譴責、減給、昇給停止、出勤停止、格下げ、解雇の七種とし、一又は二を併科し得る旨定め、さらに右懲戒処分の内容を具体的に規定しているが、これによればその軽重は右記載順序によるものであること、さらに右就業規則第四条、第七条、第八条などには職員の遵守すべき義務についての規定が存しそのうち第四条第一項第二号には「職制により定められた上長の指示命令に従い、職場の秩序を保持すること」とまた第三号には「勤務時間中は職務上の注意力の全てを職責遂行のために用うること」とそれぞれ定められていることが認められる。右就業規則の規定に照して考えれば、本件の解雇理由とされている申請人の前記所為中前記(1)は就業規則第七七条第二号の「職務を怠つた場合」にも該当し、同(2)は第四条第二号、第三号に違反し第七七条第一号にも該当する性質の所為であつて、本来懲戒の対象となし得るものであることが明らかである。ところで、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一〇号証、申請人本人尋問の結果によれば大阪基金においては、本件解雇と同日付で全基労大阪支部の役員など八名の職員に対し譴責、昇給停止、出勤停止を内容とする懲戒処分がなされたが、この処分は申請人に対する解雇理由(2)と共通の性質を有する勤務時間中の無断離席、上司に対する反抗的態度のほか前記個人別作業日報の提出指示拒否などを理由としていたことが認められる。これらの点からみれば、申請人に対する解雇が右懲戒処分に関連して行われたことは否定し難いものがあり、本件解雇は多分に懲戒的性格をもつていたものといわざるを得ない。しかし、一般に就業規則上の懲戒の対象となり得べき非難すべき所為のあつた者について、その所為が客観的にみて就業規則上の通常解雇の要件をも具備している場合これについて通常解雇の規定を適用しその手続に従つて解雇をなすことを妨げる理由はないものというべきであるから、本件解雇についても、それが通常解雇事由にあたるとしてなされたものであるかぎり、申請人の前記所為が就業規則第八四条第一項第一号の「著しく勤務成績のよくない場合」に該当するか否かを検討すれば足りるものと考える。ただ申請人に対する解雇が前記の如く他の八名に対する懲戒処分と関連性を有するものである以上、他の被処分者の処分事由とこれに対する処分内容は、申請人の所為にどの程度の評価を与えるのが相当であるかの点で前記解雇規定への該当性の判断において、また申請人に解雇をもつて臨むことが他の被処分者に対する処分と均衡を失しないかの点で解雇権濫用の判断において、それぞれ考慮しなければならないものと考える。

(2)  そこで、まず申請人に対する解雇理由(1)について検討するに、申請人が昭和三七年中に欠勤四六回(延べ三六・五日)、遅参一五回、昭和三八年一月一日から七月一七日までの間欠勤三〇回(延べ二五・五日)、遅参一二回を重ねていたことは当事者間に争いがないところ、成立に争いのない乙第一号証の一ないし四、乙第二号証の二、証人北垣甚七、同浜野唯雄の各証言、弁論の全趣旨を綜合すれば、基金において昭和三七年一月一日から同年一一月三〇日までの間の全国基金男子職員についての事故数を調査したところ、職員一人一ケ月あたりの欠勤、遅参は大阪基金の平均では病気欠勤(七日以上にわたる場合)〇・一一日(年間一・三二日)、その他の欠勤(七日に満たない病気欠勤を含む)〇・一九日(年間二・二八日)、遅参(当時は午前九時の始業時から午前一〇時までの出勤が遅参として取り扱われた)〇・〇六回(年間〇・七二回)、全国平均では病気欠勤〇・一八日、その他の欠勤〇・〇五日、遅参〇・〇四回であつて、これと対比して申請人の欠勤、遅参は極めて多いこと、なお欠勤は年間二〇日与えられる有給休暇を消化したのちなされる取扱であるが、申請人の場合は三、四月頃までには有給休暇を完全消化し以後欠勤を重ねている状況であること、しかも申請人の欠勤は所謂ばらばらに休むものであり、また突発的に欠勤することが多く従つて届出は殆んど事後であつて、総体的にみて恣意的な出勤の印象を受ける状況であること、大阪基金では欠勤日数が申請人と同程度またはこれを上廻る者も若干あつたが、これは全部長期病欠で継続的に欠勤したものであり、申請人の如く不定期的な欠勤をなしたり、遅参の多い職員は他にはなかつたこと、そして、当時申請人の直属の上司であつた北垣業務第二課長は昭和三七年九月はじめ申請人の欠勤が多いことについて注意し、また同三八年三月頃にも出勤状態について注意し病気ならば徹底的に治すよう指示し、さらに同年六月には総務部長庶務課長から同様の注意をなしたが、申請人の出勤状態は改まらなかつたことが認められ、また申請人本人尋問の結果によれば、申請人の担当する事務は前記の如くあらかじめ定められた日程に従つて処理するもので特定の日の処理が遅滞するとその後の事務処理に支障を来たす性質のものであることから、申請人が欠勤した場合他の者が代つて処理しなければならないこともあつて、他の職員に迷惑をかけることもあつたことが認められる。

申請人代理人は、申請人が前記の如く欠勤したのは病気のためであると主張するので、この点に立ち入つて検討するに、証人浜野唯雄の証言および同証言により成立の認められる乙三号証の一、二によれば、同人において申請人の欠勤届により前記欠勤の理由を調査した結果では昭和三七年分の大半、同三八年分の殆んど全部が腹痛、下痢、腸炎、頭痛、これらによる通院を理由とするものであり、しかもこれを理由とする欠勤は全期間にわたつて散在していることが認められる。そして成立に争いのない乙第一六号証、申請人本人尋問の結果によれば、申請人は昭和三五、六年頃から慢性大腸炎の持病があり、昭和三八年三月下旬頃には一〇日間の連続欠勤をなしたこともあることが認められ、またその症状としては下痢、腹痛、貧血に基く頭痛を伴うものであること、右疾患については通院による治療を受けていたが右連続欠勤の際は最もその症状が激しかつた旨の供述記載が認められる。しかし、成立に争いのない乙第一一号証の一、二、第一二ないし第一四号証によれば、昭和三七年中および昭和三八年一月から七月までの間に申請人が大腸炎のため医師の診断、治療を受けたのは、昭和三七年一〇月四日から同年中に大阪赤十字病院において二回、同月八日から同月中に他の医療施設(名称不詳)において二回、同三八年三月一八日から同月中に高田医院において四回に過ぎず他には右疾病と関連性のない鼻炎のため同三八年三月一八日より同月中に五回受診しているだけであること(右乙第一一号証の一、二は申請人の加入していた社会保険支払基金健康保険組合備付の被保険者台帳であるが、その家族療養欄には前記期間における家族の受診状況が克明に記載されていることからみて、申請人に対する療養の給付欄に受診の記載もれがあるとは考え難く、なお前記の受診以外に申請人が診療を受けたことを認めるに足りる疏明は存しない)からすれば、右診療を受けている昭和三七年一〇月および昭和三八年三月を除く期間中においては申請人の病状は少くとも医師の診療を受けることを必要とする程度であつたとは考え難いところである。そして前記乙第一号証の一ないし四、第三号証の一、二、証人浜野唯雄の証言によれば、申請人は右期間中極めて多数回にわたり組合用務のため労組休暇をとつており、同休暇当時は組合活動に支障を生じない程度の健康状態であつたことが推測されるにもかかわらずその前後にも腹痛、下痢を理由とする欠勤が存すること、また腹痛等で欠勤した前後に夜遅くまで組合用務のため基金事務所に居残つていたこともあること、申請人本人尋問の結果中、昭和三八年六月頃はその症状があまりひどくなかつた旨の供述記載にも拘らず、同月中においてなお腹痛を理由とする欠勤が一二日、一三日の二日、頭痛を理由とする欠勤が五日の一日と二一日の半日あることが認められることを併せ考えると、前記診療を受けている昭和三七年一〇月および同三八年三月当時の欠勤を除いては、それが真に前記疾病に基くものか疑念を抱かせるものがあり、仮に前記疾病に基く症状が存したとしても勤務に支障を来たす程度のものであつたとは到底認め難いところである(昭和三八年四月五日の通院を理由とする午前半日欠勤は前記乙第一一号証の一、二によれば同日申請人が受診したとの記載はなく、特段の反対疎明の存しない本件においては、この点の届出は虚偽であるといわなければならない)。なお、申請人の欠勤について午前半日欠勤が異常に多い点についても首肯し難いものがある。

次に、その余の欠勤理由については、前記乙第三号証の一、二によれば義母の葬儀の跡始末、配偶者の出産などそれ自体真実性が推定され、ある程度の欠勤は止むを得ないと認められるものもあるが、例えば、義母の葬儀の跡始末で欠勤した四日については、前記乙第一号証の一、第三号証の一によれば、そのうち引続き欠勤した昭和三七年五月二二日から同月二四日の前において、一九日、二〇日(日曜日)二一日と特別休暇および休暇をとつたことに引続いて欠勤し、二五日、二六日と出勤したのち二七日(日曜日)のつぎの二八日に同じ理由で欠勤しておることが認められ、法要のため欠勤した二日についても前記乙第一号証の一、第三号証の一によれば、昭和三七年六月中において、一七日(日曜日)についで一八日、一九日と労務休暇をとり、二〇日は半日頭痛と称して欠勤し、二一日二二日と右法事で欠勤し、二三日(土曜日)出勤していることが認められ、はたしてこのような欠勤を必要とするかなどその程度について疑問を抱かせるものもある。

次に遅参理由をみるに、前記乙第三号証の一、二によれば、電車の乗り遅れ等申請人の責に帰すべき事由による場合が昭和三七年中において八回、同三八年七月までに五回あることが認められ、証人北垣甚七の証言によれば、申請人と同じく三重県名張市より通勤している他の職員にはそのようなことがなかつたことが認められることからすれば、右遅参をもつて止むを得ないものであつたとは認めることができない。

右のとおりであるから、前記の如く申請人の欠勤、遅参が他の職員に比して著しく多く、しかもこれを不定期的にくり返しているのは、申請人が執務に熱意を欠き、極めて安易な勤務態度であつたことを物語るものであり、上司からの注意にもかかわらずこれを改めなかつたことは非難に価するものといわざるを得ない。

(3)  次に、申請人に対する解雇理由(2)について検討するに、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第四ないし第六号証、証人北垣甚七、同浜野唯雄の各証言によれば、申請人は業務処理能力には優れていたが、勤務時間中に組合用務などで無断離席することが多くみられ、またその執務態度などについてしばしば上司の注意を受けたが卒直にこれを聞こうとせず反抗的態度を示したりする傾向があつたこと、就中昭和三七年七月中旬、始業時刻を過ぎても他の職員と雑談していたため直属の北垣課長が注意したところ、これに対し、「課長仕事せんか」と申向け、また同年一〇月頃、申請人が午後三時頃出勤した際右課長が欠勤届を提出するよう指示したところ、申請人は「出してやる、課長席へ帰れ」と云つたことがあることが認められる。ところで、前記の如く基金就業規則には、職員の遵守すべき義務として「職制により定められた上長の指示命令に従い職場の秩序を保持すること」、「勤務時間中は職務上の注意力の全てを職責遂行のために用いること」が規定されているのであるが(一般に従業員が右の如き事項の遵守を要請されているのは、それが企業存続の不可欠の要件である以上当然のことというべきであり、あえて就業規則の規定をまつまでもない事柄である)前記勤務時間中の無断離席や上司に対する反抗的態度が右遵守義務に抵触することは多言を要しないところであり、特に前記特徴的な二事例の場合の申請人の言動は、およそ注意を受けた際の上司に対する態度としては常軌を逸したものであつて、企業秩序維持の観点からみて許し難いことであるといわなければならない。

(4)  なお、ここで本件解雇と同時に行われた他の八名の職員に対する懲戒処分の内容をみるに、前記乙第一〇号証によれば、八名のうち最も重い処分を受けたのは小西正、長谷川利明、昆布和美の三名でその処分内容はいずれも出勤停止五日であり、処分事由は小西正については、勤務時間中の無断離席、雑談が多く、勤務態度が著しく悪い、これについて上司からしばしば注意したにもかかわらず、暴言を吐き反抗的態度をとり改める意思が認められないから就業規則第七七条第一号に該当するというものであり、長谷川利明については、勤務時間中しばしば無断離席し上司に反抗的態度をとり暴言を吐いた、個人別作業日報の提出指示を拒否し他の多くの職員がこれを拒否する誘因を作つた、全基労大阪支部の組合員が部課長に対し多数をもつて威圧を加え軟禁に近い状態でつるし上げかつ喧噪狼籍を行つたことに対する支部執行委員長としての指導責任、勤務時間中に無断ビラ配布を行つたもので、就業規則第七七条第一号および第三号に該当するというのであり、昆布和美については、勤務時間中しばしば無断離席し執務態度甚だ悪く、上司の注意に対し不服従かつ反抗的であつた、個人別作業日報の提出指示に対し率先してこれを拒否し、他の多くの職員がこれを拒否する誘因を作つたとして、これが就業規則第七七条第一号に該当するというのであり、その余の五名の処分内容は、真鍋英男において出勤停止三日、山田孝司において出勤停止二日、福原守邦において昇給停止六ケ月松田修、西川雅彦においていずれも譴責処分がなされており、いずれも右同種の事由に基くものであつたことが認められる。

(5)  以上本件解雇理由の内容などについて検討してきたが、これを綜合すれば、申請人の勤務成績は著しく不良であるものというほかなく、前記他の被処分者に対する処分事由、内容と比較しても、申請人が企業から排除されることは止むを得ないものと結論するのが相当である。申請人代理人は、申請人の欠勤について、大阪基金においては昭和三七年以後年間の欠勤日数が九〇日以内の者については「一年間良好に勤務した場合」として定期昇給が行われることになつており、申請人もこれに該当するものとして毎年昇給を受けているのであつて、勤務成績不良とは云えない旨主張し、そして、証人浜野唯雄の証言、申請人本人尋問の結果によれば、基金の職員給与規定には定期昇給につき一二ケ月を良好な成績で勤務した場合は昇給させる旨の規定があり、また、昭和三七、八年当時の大阪基金では組合との間で九〇日以内の欠勤は定期昇給につき差別しない旨の取決めもなされていて、申請人もこれに該当するものとして毎年定期昇給を受け、特に本件解雇前の昭和三八年四月一日にも昇給の対象とされていることが認められるのであるが、しかし、右証人浜野唯雄の証言、弁論の全趣旨によれば、当時大阪基金の場合定期昇給は実際の勤務成績とは関係なく欠勤日数が年間九〇日以内であるか否かにより機械的に決定されていた事情がうかがわれるのであり、従つて、申請人が定期昇給を受けていたことだけから、基金においてはその当時その勤務成績が不良でなかつたと判断していたとするのは妥当でないものと考える。また、申請人が前記の如く昭和三七年七月中旬と同年一〇月頃に北垣課長に対し暴言を吐き反抗的態度をとつたことについて、その直後基金側において申請人に対し懲戒処分等の措置をとらなかつたことは弁論の全趣旨からみて明かであるが、しかし、本件の場合右定期昇給したこととともにこれをもつて基金側が申請人の行為を宥恕したものとは認め難く、本件解雇に際しては、これらの点をも含めた申請人の長期間にわたる勤務態度につきそれが著しく不良であるとの評価をなしたものとみるのが相当である。

(七)  これを要するに、本件においては、被申請人の反組合的意図の疎明が十分ではなく、他方申請人の勤務成績が著しく不良であつて、それが申請人を企業から排除する理由として十分なものと認められるから、これに申請人が本件解雇を受けるに至つた経過を併せ考えると、本件解雇は、申請人の勤務成績不良を決定的理由としてなされたものと判断するのが相当である。従つて、申請人代理人の前記不当労働行為の主張は採用できない。

三、次に、申請人代理人の本件解雇は労働協約に定める手続に違反して行われたもので無効であるとの主張について判断するに、申請人本人尋問の結果により成立の認められる甲第二一号証、証人大野喜八郎の証言、弁論の全趣旨によれば、昭和三五年一一月一九日基金と全基労との間に締結された労働協約には、本件の如く、「著しく勤務成績のよくない場合」などに当るとして解雇する場合には、予告後七日以内に組合から異議の申出ができ基金は組合からの異議の申出があつた場合は苦情処理手続によりその解決をはかるものとし、その期間中は発令を保留する旨の規定(第三七条)が存したところ、右労働協約は昭和三七年一月一七日をもつて失効し、本件解雇当時には存在していなかつたことが認められるので、右主張はその内容に立ち入つて検討するまでもなく失当といわなければならない(なお、労働協約についていわゆる余後効を認めることは相当でないものと考えるが、仮にこれを認める立場に立つとしても、本件においてはその基礎となるべき事実について何らの主張も疏明も存しない。)。

四、最後に、申請人代理人は、本件解雇は解雇権の濫用であつて無効であると主張するが、本件解雇が合理的理由に基くもので相当と認められることは前記のとおりであり、申請人に対し解雇をもつて臨むことは、他の被処分者の処分事由、内容と比較しても決して均衡を失するものではないと思料されるので、右主張は採用できない。

五、以上の次第で、本件仮処分申請は失当として却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 富田善哉 宍戸清七 弘重一明)

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